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瀬戸内寂聴さん死去「生きることは愛すること」波乱の人生に幕

小説作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが今月9日に京都市内の病院で死去したことがわかった。享年99歳。「夏の終り」、「美は乱調にあり」など、情熱的な愛と生を綴った小説や、法話などで知られるように、波瀾万丈の人生に幕をおろした。

「生きることは愛すること」と生前に本人がよく口にした言葉通り、生と死を愛情豊かに見つめながら、全力で生ききった人生だった。寂聴さんを知る人や、交流のあった人たちのほか、ネット上などでは追悼のメッセージが相次いでいる。

不倫、小説家デビューに出家 波乱の人生

結婚、出産、不倫、出奔、文壇デビュー、得度…。今月9日、99歳で亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんの起伏ある人生は、自らの作品世界と重なるような波乱に満ち、熱情にあふれていた。そうした人生を背景に語られる法話は、迷える人々の心に寄り添い、すくい続けた。

瀬戸内寂聴さんの結婚は、東京女子大学にまだ在学していた21歳のときのこと。お見合いによる結婚で、相手は中国古代文学史を研究する学者だった。世界大戦中に結婚して北京に渡り、母になったが、引き揚げ後になんと夫の教え子と恋に落ちる。

幼い娘を置いて出奔したが恋は実らず、自活の道を幼い頃からの夢だった小説の世界に求めた。「その日から私は、あれほど憧れていた普通でない人間に、アウトローの世界の人間になっていた」とのちに回顧している。

昭和32年の「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮社同人雑誌賞を受賞したが、後の「花芯」の官能描写をめぐり、男性中心の文壇から批判を浴びることとなった。復活を遂げたのは小説「田村俊子」。奔放な生き方ゆえに誤解も多かった明治生まれの流行作家、田村俊子の評伝小説だ。

以後、才気ゆえに稀有な人生を歩んだ近代日本の女性たちに光を当てていくようになり、独自の小説スタイルを確立させた。無政府主義者・大杉栄とともに虐殺され、雑誌「青鞜」最後の編集者だった伊藤野枝の恋と波乱の人生をつづった「美は乱調にあり」、続編「諧調は偽りなり」は瀬戸内寂聴さんの代表作となった。

また、社会活動家の平塚らいてうを主人公とした「青鞜」、小説家・岡本かの子を扱った「かの子撩乱」、芸妓から尼僧になった高岡智照尼の「女徳」など、因習にとらわれず恋や思想、芸術に命を燃やす女性たちに、自身の生き方を重ねていった。

37年発表の自伝的小説「夏の終り」は、妻子ある作家と年下男性との三角関係に悩む主人公を描いた話題作。映画化され、いまなお人気のロングセラーだ。

僧侶として過ごした、往年の穏やかな瀬戸内寂聴さんの姿からは想像もつかないが、幼子を置いての駆け落ち愛からもわかるように、もとはといえば情熱を心に燃やしている女性だった。その情熱的な感性を筆に委ねた。

出家の理由には愛娘の存在も

51歳での得度(出家の儀式)は、大きな転機になった。著書が飛ぶように売れる流行作家でありながら、しのびよる人生のむなしさをかみしめ、出家を「生きながら死ぬこと」と表現した。

のちに本人が語るには、出家の理由のひとつには、別離することとなった娘の存在もあったという。離ればなれになっていた娘が結婚するということを聞いた瀬戸内寂聴さんが、婚礼家具一式を娘に贈ったというのだが、送り返されてしまったという。

娘からしてみれば、生まれたばかりの自分と父親を置いて、不倫相手のもとへと駆けだしていった母親からの結婚の祝福など、受けたくもなかったということだろうか。娘は、「ママは死んだ」と言われて育ったという。

娘から婚礼家具を送り返されたことが、出家の要因のひとつにもなったようだ。のちに岩手の中尊寺にて娘との和解交流が実現し、瀬戸内さんにとっては孫にあたる、娘の子供にも会うことができたという。

僧侶となり剃髪した後も、酒を飲み肉を食すことを公言するなど、世俗的な親しみやすさももちあわせ、僧侶の概念を覆し、人々の心をつかんだ。寂庵での法話には、子供や伴侶を亡くすなど悩める人々が多く集うようになった。

己を忘れて他を利するという、天台宗の開祖・最澄の「忘己利他(もうこりた)」の精神にのっとり、人々を癒やし続けた。川端康成さん、ドナルド・キーンさんら当代きっての文豪や学者から、俳優の萩原健一さんら多彩な交流でも知られた。

そして70代に入ると、源氏物語の現代語訳に挑む。「今読んでも非常に新しい源氏物語を国民はもっと読むべきだ」との思いで、準備に5年、訳に5年というあしかけ10年の月日をささげ、「ですます調」の平易な言葉を駆使した「瀬戸内源氏」と称される大作は完成した。この大作が現在文学に与えた影響は大きかったことだろう。

相次ぐ追悼メッセージ

各界の著名人が哀悼の意を表明している。自身が司会を務めるインタビュー番組への出演などで交流があった黒柳徹子は、以下のようにコメントした。

「みんなの味方が、亡くなった。こんなことまで書いちゃうんだ!という小説家が、尼さんになった。尼さんになっても『書いちゃおうかな』と言って書いていらした。100歳近くまで尼さんで、説法しながら恋愛小説を書く。日本は面白い国だと思う。でも、もうお会い出来ないと思うと悲しい」

また、故人と長年の親交があった歌手の美輪明宏は、NHKの取材に対し「瀬戸内さんは大正時代から理不尽な戦争、そして戦後の変容など同じ時代を一緒にくぐり抜けた仲間で、そういった存在がまた1人いなくなってしまったことに複雑な思いです」と心境を述べた。

そのうえで、「本当に無邪気で烈女の生き残りのような方でした。私にとっては身の上のことも含めて何でも包み隠さずに話ができる存在でした。人の手助けをするのが大好きで、だからこそ多くの方々が相談に訪れたのだと思います。縦横無尽に、生きたいように生きた人生で、十分満足しているのではないかと思います」と話した。

SNSにも多くの哀悼の言葉が寄せられている。ツイッターでは、「寂聴さんの話は最高に楽しい。もう元気なお声は聴けないのか……」といったものや、「自分の人生を自分の思うように生ききった様は称賛に値するし尊敬する」「源氏(物語)を読むきっかけになった人」「毎朝ラジオで寂聴さんのお言葉いただいていたのに残念」などの寂聴さんの死を悼むコメントが相次いだ。

実際に法話を聞きにいったという人や、瀬戸内さんの言葉に勇気をもらっていたという人々からは、多くの感謝のメッセージも。故人が人々に与えた影響がいかに大きかったかということが見てとれる。

瀬戸内寂聴さんのご冥福をお祈りいたします。