元横綱の曙太郎さんが死去…病気だった?元貴乃花と若乃花も追悼コメント

大相撲の外国出身力士で初めて横綱となった、第64代横綱・曙太郎(あけぼの・たろう、米国名チャド・ローウェン)さんが今月上旬に死去したことが4月11日、明らかになりました。54歳でした。

史上初の外国出身横綱ということで、当時は若乃花・貴乃花をはじめとした日本人力士たちにとっての「かたき」的なポジションでもありましたが、しのぎを削った若貴兄弟などの相撲関係者らも哀悼のコメントを出しています。

元横綱の曙さんが死去 54歳

出典:公式ブログ

元横綱「曙」として知られる曙太郎さんが、今月上旬に都内の病院で急逝したことがわかりました。日本相撲協会も発表しました。(※正式な四股名表記は「曙」の「者」の右上に点)

曙太郎さんは、ハワイ・オアフ島出身。アイルランド系の血を引く父と、キューバ系アメリカ人の母との間に生まれ、ハワイ時代は長身を活かしてバスケットボールをしていました。

若乃花、貴乃花らと同じ昭和63年の春場所で、東関部屋から初土俵を踏みました。この世代は「花の六三組」とも言われ、曙さんと若乃花・貴乃花兄弟のほか、大関魁皇、小結和歌乃山など、3横綱1大関を含め11人が関取になったんですね。

そんな世代でデビューを果たした曙さんは、身長2メートル3センチ、体重200キロを超える体格と長い腕を生かした突き押し相撲で活躍し、スピード出世を果たしました。

当時、兄弟横綱の貴乃花、若乃花と数々の名勝負を繰り広げ、空前の相撲ブームを創り上げた一人でもありますよね。特に貴乃花はライバルで、「曙貴(あけたか)時代」を築き、幕内対戦は21勝21敗と五分の関係でした。

1996年4月には日本国籍を取得。1998年2月の長野冬季オリンピックでは開会式では土俵入りを披露しました。現役時代には通算11回の幕内優勝を遂げましたが、一方でヒザの怪我に泣き、2001年1月に引退し、華々しいキャリアに幕を閉じました。

膝の状態が悪く休場が続いたことで「8〜10勝の平凡な勝ち越しなら出来るが、もう優勝争い出来ない」「横綱として惨めな姿で土俵に上がれない」と現役引退を表明したときには、謙虚な姿勢が国民の涙を誘いました。

大相撲引退後は、年寄「曙」として東関部屋で後進の指導に当たった曙さん。2003年に日本相撲協会を退職し、プロ格闘家に転向しました。同年大みそかには格闘家のボブ・サップと対戦し、敗戦したものの、同年の「NHK紅白歌合戦」を超える視聴率を獲得し、大きな話題を呼びました。

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