2024皐月賞はジャスティンミラノが制覇!落馬で死去の藤岡康太騎手が調教

落馬で死去の藤岡騎手が調教

競馬といえば、今月頭には大きな悲報がありました。6日に阪神競馬場で行われたレースで落馬し、頭と胸を負傷して病院の集中治療室で治療を受けていた藤岡康太騎手が、10日に亡くなったことです。35歳という若さでした。

今回の皐月賞を制覇したジャスティンミラノは、藤岡康太騎手とも関わりのある馬でした。藤岡騎手はジャスティンミラノなど友道厩舎(きゅうしゃ)の馬の調教に乗ることも多かったといい、同馬の2週前、1週前追い切りにまたがっていたといいます。

ジャスティンミラノを管理する友道康夫調教師はレース後の会見で涙をおさえられず。「藤岡康太騎手のご冥福を心からお祈り申し上げます。最後の最後まで乗ってもらって、この勝利は彼のおかげ。本当にありがとうございます。レース中は康太、康太と叫んでいました」と声を震わせました。

また、ジャスティンミラノの手綱をとった戸崎圭太騎手は、「馬を信じて騎乗させてもらった。出だしは興奮しているところもあったが、あとはどっしりと構えて精神的に安定していたと思う」とレースを振り返ります。

そして「藤岡騎手に事細かく状態を教えてもらっていた。最後の差というのは康太が後押ししてくれたもので喜んでくれているのではないかと思う。『康太ありがとう。お疲れ様でした』と伝えたい」と涙ぐみながら話していました。

深い悲しみの中で始まったレースでしたが、この結果には多くの競馬ファンも感動。最終追い切りを藤岡康太騎手が担当していたことに実況アナが触れると、場内は大きな拍手に包まれたといいます。

X(旧ツイッター)でも「間違いなく記憶に残るレース」「めちゃくちゃ感動」「その走りは天まで届いたと思います」「涙の勝利」などの感動の声が多数上がりました。

競馬好きを公言している元乃木坂46の北野日奈子も、「藤岡康太騎手の功績がこれからも残り続けると確信した皐月賞。物体として見ることのできない愛の形、愛の強さを感じました」とXにポストしていました。

藤岡康太騎手はどんな騎手だった?

今月10日に35歳の若さで亡くなった藤岡康太騎手のプロフィールをご紹介すると、滋賀県出身で父が調教師、兄が騎手という競馬一家で育ち、2007年にJRAの騎手としてデビューしました。

2009年には初めてのG1勝利をあげ、その後も堅実に勝利を重ねて実力を伸ばし、去年秋のマイルチャンピオンシップでは14年ぶりとなるG1勝利も果たし、通算勝利を803勝まで伸ばしていました。

なおG1というのは競馬の最高峰クラスの事で、一番質の高いクラスのレース。もちろん人気度も高く、出場するだけでもすごいことなんですね。また賞金も段違いなので、ファンから競馬関係者まで大勢の人が熱狂する注目のレースとなっています。

競走馬たちの頂上決戦ともいえるG1。皐月賞のほかには宝塚記念、ジャパンカップ、天皇賞、有馬記念、日本ダービーなどがあり、いずれも開催場所や走行距離などが異なります。

そんなG1を二度制覇した経歴のある藤岡康太騎手は、実力のある騎手だったことがわかりますよね。ことし最初のG1レースで勝利した、兄である藤岡佑介騎手とともに、兄弟そろってのさらなる活躍が期待されていました。

そんな中での、今月6日の落馬事故。JRAの騎手がレース中の事故で死亡したのは約20年ぶりのこととなります。レース前には競馬ファンがよく「全人馬無事に」と祈っていますが、その大切さがよくわかりますよね。

日刊スポーツによれば、藤岡康太騎手の師匠である宮徹調教師は訃報に際して、「競馬の事故だから仕方ないとはいえ、辛い」とした上で、「厩舎の人間もかわいがっていた。どこにいてもニコニコしていて、人当たりが本当に良かった」「先生やオーナーからもかわいがられていた」と藤岡康太騎手の人柄を伝えています。

「これからという時だったし、まだまだ伸び代があった。残念としか言いようがない。みんなに応援してもらって、ありがたかった」と悲痛な思いを明かしていました。

また日本騎手クラブの会長である武豊氏は、JRAを通して「こんなにつらく、悲しいことはありません。まだ、信じられないです。今後、康太の思いを胸に乗っていきたいと思います」と追悼のコメントを発表していました。

ジャスティンミラノのG1優勝をたたえるとともに、藤岡康太騎手のご冥福をお祈りします。

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