「氷見にボランティアに来てくれていたんだ!ありがとうございます」「個人的に氷見へボランティア行ったんだ あえて名乗らないのえらいけど彼の顔だとすぐわかっちゃうね」「福島の人だから震災と被災地復興、そこに暮らす人々への思いは並大抵のもんじゃないだろうね」「氷見に来てたのか しかもプライベートで観光応援なの嬉しい」など感謝のコメントも多く見受けられた。
なすびは10日には氷見市で災害ごみを片付けるボランティア活動に参加。自身のXで「活動内容は地震で崩れた石灯籠を重機で撤去する作業のお手伝いでした」と説明し、「夕食後は氷見市漁業文化交流センターで【元気振る舞い屋台】と題した炊き出しイベントにお邪魔させて頂き、地元の方と触れ合えました」と伝えた。
昨日に引き続いて、本日も氷見市でのボランティア活動に参加させて頂きました!今回の滞在で少しでも氷見の皆様のお役に立てている事を願いつつ、沢山の笑顔に出会えて光栄でした(*^o^*)最後に富山湾から臨む立山連峰も少しだけ拝む事も出来て、道の駅氷見でお土産も一杯買って、帰路に着きます!! pic.twitter.com/zUjyiaedjw
— なすび (@hamatsutomoaki) February 11, 2024
なすびの現在は?
バラエティー番組『進ぬ!電波少年』の大人気企画『電波少年的懸賞生活』のチャレンジャーとなり、世間の注目を集めた芸人のなすび。1998年から1年3ヶ月間、懸賞の賞品だけ生活してみせた。
当時、大学4年生だったなすびは、企画開始前に行われた『運だけが頼りの企画オーディション』を受け、他の参加者をはねのけて当たりくじを引き当てる。そして企画スタート後、は周りとの一切の連絡を絶たれ、アパートの一室に監禁でもされているような状態で約1年3ヶ月もの間を過ごした。
ルールは「懸賞で当たったもののみで生活をする」だったので、非常食の乾パンなど、最低限のものしかない状態から始まった懸賞生活。着ていた服を取り上げられ、全裸でひたすら応募ハガキを書き続ける日々。ドッグフードで食いつなぎ、時には「死」さえも頭をよぎったという。
なすび本人は自分の生活が全国に放送されていることはその当時知らされていなかったようで、ひたすら懸賞品を当てるためにはがきを書きながら、自分でビデオ撮影をしたり、1日の終わりには必ず日記を書いたりしながら過ごしていたそうだ。
そんな訳で、いつの間にか超有名人になっていたなすび。この企画が終了した直後には大人気芸人と呼ばれるまでになっており、様々なテレビ局から引っ張りだこ状態だったそうだ。
ただ、世間からのなすびへの「懸賞生活」のイメージが強すぎたのか、実際のなすびのキャラとの間に大きな差が生まれてしまい、その後の人気は長くは続かなかった様子。
その後は、出身地である福島に戻り、冠番組を持つローカルタレントとして活動。また、目指していた役者の夢も諦めず、念願だった喜劇俳優としての活動も本格化させた。2002年には劇団も立ち上げ、以降、ドラマ等でも俳優として出演しているとのことだ。
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