「元祖セレブタレント」ともいえるマリエを覚えている方はいるだろうか?
2000年代前半、モデルやタレントとして活躍していたマリエは、現在まで続く、自由奔放で歯に衣着せぬ「セレブタレント」のイメージを築いた1人といえる。
東日本大震災後のツイッターでの発言が批判を受け、テレビから消えたマリエ。そんな彼女の現在に注目が集まっている。
人気急転ツイッター炎上の過去
自動車用オイル輸入代理店の元社長を父に持つ、正真正銘のセレブのマリエ。
世界中に家や別荘、クルーザーなどを持ち、優雅なセレブ生活を送っていたことをよくテレビで話していた印象だ。セレブタレントの中でもレベルが違うくらいお金持ちの家庭で育っていたとされる。
カナダ人の父と日本人の母との間に生まれたがゆえの端正な顔立ちや、すらっと伸びた手足が印象的だった。
小学五年生で子役モデルとしての活動を開始した彼女は、その後ファッション雑誌『ViVi』の専属モデルとして人気に。
バラエティ番組内での大御所相手にも物怖じしない姿がウケ、タレントとしての人気にも火がついた。
のちのインタビューでは、バラエティに全力で取り組んでいた理由として、
「当時も人気モデルが大勢いて、私はモデル一本ではナンバーワンになれないと気づいたんです。じゃあ自分にしか出来ないことって何なのか。迷ったのですが、それはテレビでも臆せず喋れること、あとお笑いが好きなことなんじゃないかと。ほかのモデルに出来ないことが自分にもある。そこで“5年間だけNOと言わない”と決め、どんな仕事もとにかく自分の100%を尽くしてやることにしました」
と語っている。
2000年代には「セレブタレント」として「笑っていいとも!」など、人気絶頂期には週9本のレギュラー番組を抱えるほどだった。
そんな彼女に炎上事件が起きたのは、2011年の東日本大震災の後のこと。自身のツイッターでの、
「世の中チャリティー産業かよ」「こっちはいろんなところから募金です金くださいってれんらくがたえなくってこまってんだよ!」
という発言が問題視され、世間の評価は急降下してしまった。ツイッターやブログで謝罪をしたものの、以前のような需要やオファーはなくなってしまったようだ。
ファッション勉強のため留学へ
この「炎上」後にアメリカの『パーソンズ美術大学』に半年間の留学をしたマリエ。
ニューヨークのマンハッタンにあり、マーク・ジェイコブス、アナスイなどの超一流ファッションデザイナーを輩出しているファッションの分野では名門の私立大学だ。
ちょうど時期が「炎上」後だったため、炎上をきっかけに芸能界から干されたような印象を世間に与えた。
のちに雑誌のインタビューで本人が語っているが、留学はもともと予定されていたとのことで、芸能活動のかたわら地道に勉強をし、資格取得にも努めていたという。
しかしタイミングがタイミングだったこともあり、世間からは「海外に逃げた」「バッシングから逃げた」などと揶揄されてしまい、騒動をきっかけに芸能界を追放されたかのように記憶されてしまった。
偽セレブや借金の噂も?
当時は週刊誌などで「父親の事業の失敗でマリエ名義の借金が6500万」「実はもともと偽セレブ」「マリエも差し押さえを食らった」といった記事も出てきた。
また、両親が離婚し、すべての借金はマリエの肩にのしかかってるという報道まで流れた。
これらの報道が真実であれば、「和製パリス・ヒルトン」と呼ばれていた当時の面影もないが、実のところはよくわかっていないようだ。
しかし報道の一部については、マリエの母親がすでに否定をしている。
「(マリエの母の経営の)サロン店の事業も拡大中。確かに離婚はしていますが、それはもうずっと前の話。ローンはあるけど、私個人(マリエの母親)の話で、差し押さえと言っても固定資産税を収め忘れた10万円ほど払った程度ですよ」
いろいろな出来事があったために、噂に尾ひれがついてしまったような印象だ。
留学から帰国した2012年からというもの、芸能活動には復帰をせず、ほぼ自分の力でこつこつと準備をし、ファッションブランドを立ち上げる準備をしていたようだ。
5分で完売の超人気ファッションブランドに
2017年、29歳のときにはついに自らのブランドである、『PASCAL MARIE DESMARAIS』(パスカル・マリエ・デマレ)を立ち上げたマリエ。
初めての商品はTシャツで、1枚13,800円という価格で、72枚の限定販売だったものの、わずか5分で完売という上々の滑り出しだった。
週刊誌のインタビューでは、
「大手アパレルメーカーには出来ないことをしていこうと思いました。例えば、捨てられていくジビエの皮を全部請け負って商品にしようと。大手だと傷物を扱うことがそもそもタブーなんです。“傷”を追った野生動物の皮はそれ自体がキレイなものではないとみなされ、捨てられていく。ゴミになっていく。でも私は逆に、その“傷”を“美しい”って思うんです。革の傷はその生き物が生きてきた証。それを美しいって言える社会って素晴らしいのではないか。そんな提案をファッションでやっていこうと考えたのです」
と自身のファッションブランドのコンセプトを熱く語ったという。
現在は日本に在住で、ファッションブランドの経営を第一にしながら、ラジオの出演もしているということだ。
テレビ出演はないものの、Instagramはファッションのこと中心に発信している。当時を覚えている方からしてみれば、「セレブタレント」だった頃に比べ、ナチュラルで健康的な印象だ。
ツイッター当時のことは反省
マリエの名誉のために補足しておくと、のちのインタビューで彼女はツイッターで炎上した発言について振り返った。
「すごく反省しています。私の言い方が悪かったです」と姿勢を正し、以下のように続けた。
「当時、私がセレブタレントと呼ばれていたこともあり、さまざまな所から『セレブなら寄付しろよ!』という心無い言葉がかなりの数寄せられていたんです。当時はそれをスルーできず、つい言い返すようなツイートをしてしまって……。もう少し言葉を選べば良かったのに」
売り言葉に買い言葉。これに、彼女の交際していた恋人が宮城県気仙沼出身だったことも重なった。
気仙沼市が当時、もっとも被害を受けた場所のひとつだったことはいうまでもない。
「家族と連絡が取れない」と動揺するパートナー。それを隣で必死にサポートしていたマリエ。
まだ22歳だった彼女には、誹謗中傷の言葉をスルーする心の余裕がなかった。
その当時からは想像もつかないくらい、落ち着いた大人の女性になったマリエ。現在はブランドの責任者であるだけでなく、ラジオナビゲーターや専門学校講師を務めてもいる。
当時のようにテレビで見る日が来るかはわからないが、充実した日々を送っているようだ。
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