チョコプラの月収が衝撃!長田は美大出身で実家が老舗?在日?

お笑いコンビ「チョコレートプラネット」(長田庄平、松尾駿)が今月21日、毎日放送「せやねん!」にVTR出演。月収の〝詳細〟をカミングアウトし、その額に衝撃が走っている。

また今回の記事では、「在日(韓国人・朝鮮人)では」と噂されることのある、長田の出自についても確認していこう。長田は意外にも、実家が京都の老舗工場だというのだ。

月収300万?驚きの告白

お笑いコンビ「チョコプラ」ことチョコレートプラネットが、テレビ番組内で収入を告白したことで注目が集まっている。番組では何でも答えてもらえるように、子どもを〝記者〟として送り込み、2人にインタビューを慣行した。

子供からの1問目で、「実際のところ給料は?」と直球質問が飛ぶと、長田は「お金は稼がせていただきましたけど、これだけは言わせていただきたいんですけど、この国には税金というものがありまして、吉本という〝税金〟もあります。手元に残るのは本当に少ないです」と前置きしながら「ただ、夢はありますよ」と意味深に付け加えた。

続けて子供からは、「月収で回転寿司は何皿食べられますか?」との質問が。それを受けた長田は「月?1皿150~300円ぐらいの間として、いち、にま…」と口走ったが、松尾に「あんま具体的にいわない方がいい!」と静止されてしまった。

だが、ここで番組では「仮に1皿150円として2万皿ということは、最低でも月300万円ということに」とナレーションとテロップで〝解説〟が入った。確かに、夢のある金額だ。

収入の半分はCMで

https://www.instagram.com/p/CYJth4vLIKk/

また、最近買った高価なものを聞かれると、長田は「車は買ってないけど、(これから買うであろう)2台目の駐車場はもう借りました」ときっぱり。今借りている場所の横に空車が出たため「チャンスと思った」と言い訳したが、売れっ子の羽振りの良さをうかがわせる回答となった。

続けて「テレビ、ユーチューブ、CMの収入の内訳を教えてください」と問われると、松尾は「子供の質問じゃねえんだよ!」と猛ツッコミ。

一方、長田は「CMが大きいかな」「50~60%はCMで、40ぐらいがテレビ。残りの10%がユーチューブかな。ユーチューブに関しては入ってくるけど、次のネタ撮るためにお金使ってるから、そんなに残ってない」と事細かに説明し、松尾から「月によって違うから…って、なんでちゃんと話さなきゃいけないの?」とたしなめられていた。

下積み時代は月収5万で家賃滞納

昨年7月にテレビに出ていた際に松尾は、「一番きつい時代」として、下積み時代の収入を告白していたこともあった。松尾はさかのぼること2005年、22歳の頃に上京。最初に住んだのは大田区の西馬込で、妹と一緒に住んでいた。当時はダイニングバーのバイトを「がっつりやっていた」と月収15万円ほどだったという。

だが、芸歴2年目のときに目黒区の都立大学駅に引っ越し。一人暮らしをすると、ライブや舞台などに呼ばれ始め、バイト時間が減り、逆に貧乏に苦しむようになってしまった。松尾は当時のことを「一番きつい状態」と語り、収入は5万円で、7万5000円の家賃が払えず7カ月滞納していたと語っていた。

その当時とは打って変わって、現在はここまでの売れっ子となり、のし上がった。仮に当時多少の借金があったとしても、現在までの間にすべて返済できていそうだ。

長田は京都老舗の息子で美大出身!在日はデマか

また、長田の出自は意外なものだという噂も。長田の実家は、60年以上続く京都老舗の町工場で、幼い頃から加工機械が身近にあり、本人も美大に進学していたという。コントの小道具を手作りしていることでも知られる長田だが、手先が器用なのはその流れを汲んでいるためであろうか。

2020年にインタビューに応えた際にも、「長田さんは、いつ頃からモノづくりに興味を持ちましたか?」という質問に対し、「物心が付いたときからですね。幼稚園生くらいから、機械部品を作る職人だった爺ちゃんに、いろいろなモノづくりを教わったんです。(中略)それに、親父からの影響もあると思います。家族でアウトドアに行くときにも、親父の作った物が毎回登場していたんですよね。」と回答していた。

大学進学は考えていなかったという長田だが、両親から大学へ行くことを勧められ、京都市内の美術大学に通うことになったようだ。当初進学に対して気乗りしていなかったようだが、このときの経験が現在の小道具の手作りに繋がっているのは確かだという。

また、大学卒業後には実家の町工場を継ぐのではなく、たまたま求人誌で見かけた陶芸教室の講師をやっていたそうだ。

SNSなどで噂されている「長田は在日韓国人・朝鮮人」という件については、この出自を見るに、ほぼガセであることが確定していると言えよう。実家が京都で60年以上続く町工場である以上、日本国籍を持っていないというのもなかなか考えにくい。