「喋らなくなる時期ってあるじゃないですか。コンビの皆さんと似てると思うんですけど。お互いがお互いのことをこれがああだ、あれがああだって思ってるけど、それを言っちゃうと壊れちゃうし、でもたまってる部分はあるしみたいなので、ずーっと喋らずにっていう時期があって」と説明した。
不仲の2人を山下智久が仲介
「それこそ僕が21、2ぐらいの時に、元々中島は僕のことを“風磨”って呼んでたんですけど、多分照れくさくなって“菊池”になってきて」と、呼び方も変わったりと、距離を感じ始めたという。当時は中島健人、菊池風磨、そしてメンバーの佐藤勝利がソロライブを行っていたが、「お互いのなんて見に行く気全くなくて」という状態だったと話した。
そんな折に「山下くんが、見かねてというか、“お前が見に行かないとダメだよ”って言って」と、当時ジャニーズの先輩だった山下智久からアドバイスがあったと言い、山下智久に連れられて中島健人のソロライブを一緒に観に行ったのだそうだ。
ニューヨーク・屋敷が「2人の空気がちょっとあんまりっていうのもなんとなく気づいてたんですかねえ」と語ると、菊池風磨は「多分めちゃくちゃ気づいてらっしゃって。その時に中島(健人)が凄いびっくりして。僕(観に行くと)言ってなかったんで。その時に腹割って話して」と振り返った。
ニューヨーク・屋敷が「(話すために)飯行ったんですか。その時」と尋ねると、菊池風磨は「そのまま楽屋で話しましたね」とし、その時に山下は外で待っていたといい、菊池は中島健人と2人っきりで話したのだそうだ。そのエピソードを聞いて、ニューヨーク・嶋佐和也は「かっこいい山P」と感激していた。
そのときに2人はグループの今後の方向性などについても話したのだそうだ。ただ、「その時にあいつは僕のことを“風磨”って呼んだんですよ」としたものの、「でも恥ずかしくなって今はまた“菊池”に戻ったんですよ」と明かし、ニューヨークの2人は「それもいい」「リアル」と反応していた。