元NHK山形の「号泣お天気お姉さん」こと岡田みはるが『週刊ポスト』(9月16・23日号)のグラビアで登場。
「号泣お天気お姉さん」として有名になった岡田みはるは騒動後の様子について『週刊ポスト』(9月16・23日号)にて初告白している。
NHK山形の夕方の情報番組でお天気キャスターを務めていた岡田みはる。その名を全国に知られたのは、昨年12月の放送だった。
岡田みはるが「号泣お天気お姉さん」と呼ばれるのは
出典:twitter画像
お天気キャスターを務めていた岡田みはるは、昨年12月の放送NHK山形の夕方の情報番組で
「現在の鶴岡市の様子を見てみましょう」
と原稿を読み始めた。しかし、画面に映ったのは新庄市の映像。異変に気づいた岡田みはるはすぐに訂正した。
その後、岡田みはるは徐々に涙声になり手で涙をぬぐいながらの天気予報となってしまったのだ。
「号泣お天気お姉さん」として有名となった岡田みはる
この“号泣”映像がネットで拡散、新聞やテレビが取り上げ、岡田みはるは一夜にして「号泣お天気お姉さん」として有名に。
「原稿と映像がズレてしまったことは仕方がないので、残された時間で何を伝えて何をカットするか頭の中で必死に考えていました。」
「涙が溢れてきたのはわかっていましたが、遅れを取り戻そうと無我夢中だったんです。もちろん、放送中に泣いてしまったことはプロとして恥ずかしいこと。」
「深く反省していますし、伝え手としての信頼回復は簡単ではないと自覚しています。」
とその時の気持ちを語っている。放送後は徒歩で帰宅できたが、翌日から放送局には報道陣が殺到した。
号泣お天気お姉さん岡田みはるは、もう二度と気象予報士の仕事はできないかも・・・
「号泣お天気お姉さん」として有名になってしまった岡田みはる。その時に、
「もう二度と気象予報士の仕事はできないかもしれない」
とすごく落ち込んだようだ。しかし、「号泣お天気お姉さん」として有名になってしまった岡田みはるのブログに書き込まれた数千ものメッセージだった。
「『自分もつらい思いをしているからあなたの気持ちがわかる』と励ましてくれる人がたくさんいました。がんを患う女性から『あなたも頑張っているから私も治療を頑張ります』とお手紙をいただいたこともありました」
岡田みはるは6日後の放送から現場復帰し、今年3月末で契約を満了。4月から『ひるおび!』(TBS系)でお天気コーナーのサポート業務を務めている。
6月末には長崎の豪雨被害をレポートし“テレビ復帰”を果たした。「号泣お天気お姉さん」として有名になってしまった岡田みはるの今後の活躍に注目だ。