タレントとしてバラエティー番組などで大活躍中のデヴィ夫人が、6日に放送された関西テレビ・フジテレビ系バラエティ番組『ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?』(毎週月曜22:00~22:54)に出演。
その中でデヴィ夫人昔の若い頃の画像が番組で紹介され、「めっちゃ美人」「可愛すぎ」とネットなどで絶賛の声が上がっている。
デヴィ夫人の現在の本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)で1940年(昭和15年)2月6日 日本生まれ。国籍はインドネシアとなっている。インドネシア スカルノ元大統領第3夫人としても有名。
タレントとして大活躍中のデヴィ夫人の旧姓での本名は:根本 七保子(ねもと なおこ)。デヴィ夫人が若い頃、その美貌は「東洋の真珠」と呼ばれていた事で有名である。
デヴィ夫人の昔が美人・可愛すぎと話題に
出典:twitter画像
バラエティ番組『ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?』では、一般人100人に芸能人のイメージについてアンケート調査を実施。
リアルな世間の声と、芸能人たち自身が思う自分のイメージにどれ程違いがあるのかを検証している。今回は、プライドの高いデヴィ夫人と神田うのが対決。
「頭が良さそう」「品がありそう」「ファッションセンスが高そう」などの項目でデヴィ夫人と神田うのどちらが好感度が高いか勝負。
20~30代の男性を対象にした「20歳頃の写真 かわいい」という項目では、デヴィ夫人と神田うのの昔、20歳くらいという若い頃の画像が公開。
昔の若かりし頃のデヴィ夫人の画像に対し、共演者から「かわいい」「きれい」「美女すぎる」と絶賛の声が続々。MCのDAIGOは
「デヴィ夫人はこの美貌から『東洋の真珠』と呼ばれたそうです」
と、若い頃のデヴィ夫人を伝えた。
デヴィ夫人の昔、若い頃の画像を見た視聴者は
出典:twitter画像
6日に放送された関西テレビ・フジテレビ系バラエティ番組『ちょっとザワつくイメージ調査 もしかしてズレてる?』にて、昔の若い頃のデヴィ夫人の画像を見た視聴者はツイッター上で
「デヴィ夫人の20歳可愛いすぎてやばい」
「デヴィ夫人の20歳の時の写真がめっちゃ綺麗だったんだけど」
「デヴィ夫人の20歳の頃めっちゃ美人…」
「20代のデヴィ夫人お美しい…」
などと、デヴィ夫人の昔『東洋の真珠』と言われた若い頃の画像を美貌を称賛する声が多く上がっている。
デヴィ夫人の本名と経歴
デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno)1940年(昭和15年)2月6日 生まれ。日本で生まれ現在はインドネシア国籍の日本で活躍するタレント。
インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人としても有名である。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。
インドネシア名の本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、日本での旧名:根本 七保子(ねもと なおこ)。
デヴィ夫人とスカルノ大統領との間に生まれた一人娘のカリナは、2005年(平成17年)11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガスと挙式。
現在の東京都港区西麻布に父・兵七郎と母・政子の間に生まれたデヴィ夫人。父は大工であり、弟が1人いた。家庭は裕福ではなく多額の借金生活。太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県に疎開。
15歳だったデヴィ夫人は1955年(昭和30年)、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』にエキストラ出演。1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。
1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。
独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年(昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。
引用:Wikipedia