オーディションを多数受けたものの満足のいく結果は得られず、「これで最後にしよう」と決めていたホリプロ主催の『第3回 飛び出せ! 日本男児』コンテストでようやく最終審査に進むことができたが、それでも優勝はできず。
芸能界入りはあきらめていたところに、たまたま手に取った雑誌でホラー漫画家の募集が目にとまり、デザインを勉強していたことから、「できるかも」と思い、急遽画材を買いそろえてチャレンジしたところ、デビューが決まったのだとか。まさに、チャンスはどこに転がっているかわからないということの好例だ。
人気タレントに!胸中は複雑
最初は一作だけかと思っていたが、とんとん拍子にことが進んでいき、常に仕事がある安定した漫画家となった山咲。あるとき、誌面に山咲の顔写真を掲載すると、作風とルックスのギャップに読者から大きな反響があったのだそうだ。
その反響を見た編集部から提案されて、顔出しでお悩み相談のコーナーをする展開に。山咲の中ではどこかで、“漫画家で有名になれば、楳図かずお先生のようにテレビに出られるかもしれない”という気持ちも芽生えていたという。
そしてその思惑通り、一気に人気タレントへの道を駆け上がっていったのだ。忙しい日々を過ごすようになった山咲だったが、その胸中は複雑なものであったという。原因は、当時のLGBTへの風当たりの強さは芸能界にもあったからだ。
「当時のオネエはキワモノ・ゲテモノ枠。笑ってもらえてナンボみたいな世界だったので、小中学生時代の“オカマ”と呼ばれていたころに戻った感じでしたね。私自身はそう言われることに対して耐性があったので、特に傷つくことはなかったです」
「でも、同性が好きというのはテレビにおいて倫理的に問題があると。番組によっては“女性が好きと言ってくれませんか”と頼まれることもあって……。仕方なくそう発言したこともありましたが、罪悪感が拭えませんでした」
干された?病気?本人が明かした真相
全盛期には、歌手としてCDデビューも果たすなど、マルチに活躍していた山咲トオルだったが、いつからかその姿をテレビで見かけることはなくなった。「干されたのでは」「病気だから」と、理由を推測する声がネット上に飛び交うようになり、2016年には本人が出演したバラエティ番組で真相を明かした。
「オネエキャラだから、何か面白いことをいうのは当たり前っていう前提で呼んでいただいているわけですよね。ひな壇(の番組)があった時に、すごくみなさんうまく(会話の)キャッチボールをしてるんですけど、私がひと言ポンっといった時に、シーンとなったことがあるんですよ。流れを止めてしまったっていうの?」
無料占いサービス開始