波田陽区の月収が2000万だった!?
番組MCの神田愛花は「波田さんは本当にスケジュール取れないんですよ」と、福岡での波田陽区の人気っぷりを説明。「私、福岡で10年番組やってて、最初の頃はお願いできてたんですけど、途中からスケジュール取れなくて」と明かしました。
これを受けて波田陽区は「そんなことない。空いてます、空いてます」と、謙遜しつつ否定しました。実際に、福岡では多数のレギュラー番組を獲得し、人気タレントとして大活躍中のようですよ。ちなみに出身地は山口県なので、地元にUターンしたというわけではないようです。
芸風の話題となると、「私、ギター侍っていうので20年前、一瞬売れかけたんですよ」と2004年のブレーク時について語った波田陽区。これを受けてMCの「ハライチ」澤部佑は「売れてましたよ。めちゃくちゃもうけてた」とし、続けて岩井勇気も「月収2000万以上」と当時の波田陽区の稼ぎっぷりについてぶっちゃけました。
これを受けて波田陽区が苦笑い。ハライチ澤部は続けて「我々、その生活を見てましたから。同じ事務所の先輩で」とも証言。波田陽区は「20年前だったんですよ。それが」と若干気まずそうな様子で話しました。
福岡では週5バイト生活?
またこの日、移住当初についても話した波田陽区。「引っ越したのは8年前」と前置きし、「東京でほとんど仕事がなくて、自分を変えたくて、福岡にお世話になりに行った」と移住の経緯を明かしました。
しかし移住直後は福岡でもまったく仕事がなかったといいます。そのため当時はアルバイトを週5でしていたそうですよ。「朝5時起き。福岡国際空港で海外に行く人にWi-Fiを渡す。週5働いてました」と知られざる過去を告白しました。
ちなみにこれは「イモトのWi-Fi」だったそうです。「事務所の後輩の名前がついてるWi-Fi屋さんで」と話していました。ハライチもイモトアヤコも波田陽区も、みんなワタナベエンターテインメント所属なんですね。
当時はWi-Fiの利用客に気づかれることも多かったそうで、「何してるの?」「波田陽区だよね?」など声をかけられることもあったといいます。「引っ越してきました」とあいさつするのを半年ほどしていたそうですよ。
そんなときに、2016年のリオデジャネイロ五輪で転機が訪れたのだとか。「水谷さんがメダルを取って、勝手に僕売れたんですよ。起きたら売れてたんですよ」と、卓球五輪メダリストの水谷隼に顔が激似だったことも再ブレイクにつながったと話し、笑いを取りました。
「ぽいぽいトーク」では、福岡での仕事と東京での仕事の違いも話し、福岡での仕事のほうが心穏やかでいられることを明かしました。「東京の番組スタッフ嫌いっぽい」と質問されると、「福岡では一発屋扱いされることがない」と説明。
普通のいちタレントとして扱ってくださるから、すごい心も穏やか」と話し、一方で東京での仕事に呼ばれると一発屋としてくくられると話し、最高月収いくら、最低月収いくら、今どんなひもじい仕事してるのと。そんな感じなんです」と苦笑していました。
東京での仕事では30歳もいかないくらいの若手スタッフに舐められることもあると話し、「カチーンときた」などと明かしました。そして「いい気持ちしない。誰もが一発屋になりたくてなったわけじゃないから。普通に愛されたい」と話し、スタジオの笑いを誘いました。
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