「グラビア界の黒船」としてかつて脚光を浴びた、リア・ディゾン。そんな彼女が週刊文春のインタビューに応えたという。現在はSNSでの発信ぐらいしかタレント活動を行っていないようなので、非常に貴重な機会といえるだろう。
2006年に来日し、「グラビア界の黒船」として一世を風靡したリア・ディゾンも現在は35歳。グラビアモデルとしての他、歌手としても注目を集め、2007年には『紅白歌合戦』に出場。テレビや雑誌、CM出演など、約2年の間に多岐にわたって活躍した。
リア・ディゾン来日までの道のりは?
リア・ディゾンが来日したのは、20歳になる年だった。アメリカ・ネバダ州のラスベガス出身のリア・ディゾンは、若干アジア風の風貌でもあるために、日本の血が入っているのかな?と思ったことのある人もいるのでは。彼女のバックボーンは、母がフランス系のアメリカ人で、父が中国系のフィリピン人とのことなので、日本の血は入っていないものの、納得がいく。
12歳頃からモデルやレースクイーンとして活動を始めたというリア・ディゾン。ティーンエイジャー時代から、日本に行くためにバイトをして資金を貯めていたこともあったという彼女は、運営していた自身のウェブサイトに写真などを載せていたところ、日本のファンから、日本で活動することをすすめるメールを数多く受け取ったという。
それを受けてかプロモーション用のデモテープを自ら作成し、日本の芸能事務所にメールを送るようになったという。そして、ビクターエンタテインメントとエージェントを通して契約を締結するにあたったようだ。もともと日本への興味もあったために、日本語の勉強も14歳くらいからは本格的に始めたということで、来日時にはすでに簡単な会話ができるほどに上達していたとのことだ。
そして2006年には少年誌のグラビアページや巻頭・表紙にたびたび登場するように。「グラビア界の黒船」として名をとどろかせた。ほどなくして女性誌でもモデルを務めたり、歌手としての活動もするようになったのだった。
歌手活動へ 人気絶頂期で結婚「ポイしないで」
もともと彼女は音楽活動に力を入れたかったようで、ミュージック・ステーションや紅白歌合戦に出たことは強く思い出に残っているようだ。宇多田ヒカルとのエピソードや、aikoとの思い出深いエピソードなどを「週刊文春」のインタビューで明かしてもいた。
そんな中で、音楽活動に力を入れたい、でもタレントとしての仕事も求められる、日本語も勉強しなければならない…と大変な思いをしたことが覗える。それでも当時のことを振り返って、「本当に良い経験になった」と語っている。
歌手活動にタレント業・モデル業。彼女の大活躍は2年ほど続いたが、人気絶頂とも言える2008年、突然の結婚・妊娠発表だった。2008年10月、全国ツアーの最終日にリア・ディゾンは結婚・妊娠を発表し、その際、「ポイしないでください」とファンに呼びかけたのだった。
結婚相手は日本人でスタイリストの男性だった。人気絶頂というタイミングだったこともあり、事務所やファンの戸惑いも理解していると話すリア・ディゾン。当時のことを振り返って、
「本当は、出産という出来事はハッピーなことのはずなのに、色々な意味でネガティブな反応が多かったのは確かです。もちろん、なぜそうなったのかは分かっているんですけど……。ただ、母親になったこと自体は、とても素晴らしいことだと思っています。当時は夫との関係がうまくいっていなかったので、そこは辛かったですが、母親になれたことは自分の人生の中でも最大の、ベストな経験だと思っています」
とした。その後、出産を経て、活動も減っていった。もともと産休は取りたいと思っていたというが、ファンが減り、それに伴って活動も減るということが連鎖的に起きていたようだ。
離婚してアメリカへ 演技の道を志すが…
2009年に出産したリア・ディゾンだったが、2010年には離婚。離婚後に、娘と一緒にアメリカに戻ったという。「実際に離婚調停に入ってからアメリカに帰るまで1年もなかった」と話す。前述のように夫との関係がうまくいっていなかったこともあるが、「自分がなりたい母親になれるのは、アメリカだと思った」と話す。やはり、生まれ故郷への思いは誰でも持ち合わせているものだろう。
エンターテインメントに関わり続けたいという思いがあり、ニューヨークにある演劇学校に通い、女優の道を志したものの、途中で、自分が興味のあるものは「演技」というよりは「人そのもの」だと気付き、大学に入り、発達心理学を学ぶことにしたのだとか。
そこでの勉強内容が、現在のソーシャルワーカーという仕事に繋がっているようだ。一度エンターテインメントの世界を経験している彼女ではあるが、もともと静かな生活が性に合っているようで、今の生活を気に入っているという。
とはいえ、アメリカに戻って以来いっさい芸能活動をしていないのかと言えばそういうわけではなく、2012年には芸能活動の再開が報じられたこともあれば、2013年には再来日、2016年には「週刊プレイボーイ」の表紙を飾るなどもしたようだ。これは8年ぶりの「プレイボーイ」の表紙だったようで、その美貌や抜群のプロポーションが大絶賛された。2019年にはミニアルバムも発売し、これが「日本での音楽活動再開」と表現されることもある。
現在のタレント的な活動はInstagram等での発信に留まっているといい、「週刊文春」による「日本に戻って仕事をする可能性はない?」という問いかけに対しては、「呼んでもらえるのであれば料理番組に出てみたい」と話したそうだ。
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